先日、イーロンマスクが「全ての情報を従来のメディアから得ている人と話をすると、彼らはポッドキャストを聴いたりXからニュースを入手している人とは違う世界に生きている。彼らは別の現実に生きているんです。」と言っていました。
これはとても興味深い内容です。
同じ地球上で、同じ時間軸で生きていても目の前に広がる現実は異なるということ。
価値観の違いとも言えるでしょう。
これが良い、最高だ、正しいと思っていてもそれらはあくまでも自分の価値観や尺度の話であって、それが必ずしも他人と共有できるとは限らない。
何かを話すと一向に話が進まずに平行線で終わる人が周りにいないだろうか。
それもそのはずで、自分の見てる世界が例えば右で、相手が左を見ていたら、それは話の着地点がないでしょう。だから話が噛み合わないんです。
例えば、現時点からある場所へ向かうとしましょう。
Aさんは車を持っておらず、いつも基本的には公共交通機関を使用しています。友人も車を持っていません。その中で〇〇へ行きたいんだけど、どうやって行ったら良いかなと尋ねれば当然バスや電車などの提案を受けます。その中で選択肢がいくつかある状況になるのは容易に想像できますね。
一方、Bさんは車生活です。そして周りの人も車を持っていて同様に車生活をしています。そこで〇〇へ行くにはどうしたら良いか尋ねると、国道の方から行けば簡単だし、川沿いを行けば道は狭いけど信号がないから早いよ、など車を使う前提で選択肢が出てきます。
そこでCさんです。Cさんは車と公共交通機関を使い分けています。友人もそのような人たちです。そこで同じように〇〇への生き方を尋ねると、時間帯や曜日によっては車の方が早いよ、この日なら渋滞するから電車の方が早いよ、と教えてもらいます。
同じ現実で三つのパターンがあり、同じ出発地から同じ目的地へ向けてスタートすると当然かかる時間は異なりますよね。差が少しということはあるかも知れませんが、確率論的にはほとんどの場合で到着時間に差が出るでしょう。
同じ世界で同じ時間軸に生きていても、このように条件や選択次第で現実の結果が変わります。
このように考えると、いかに正しい情報をもとに自分が判断するかがとても重要なことだとわかります。
では何が正しいと言えるのか。
それは哲学的な話にもなりそうですが、自分の価値観に沿うものということではないでしょうか。
自分の価値観が狭ければ狭いほどに選択肢が少ないため、井の中の蛙状態になりかねません。反対に広い視野で生きていれば選択肢も必然と広がるために、最適な手段を選んで効率よく進んでいくことが出来るでしょう。
これが同じ世界に住んでいても結果が違うということです。
だからこそ、いつも柔軟な頭で自分の価値観にそぐわないことだとしても、一旦飲み込んで考えてみることや、参考にしてみることも大切なのではと改めてイーロンの言葉を聞いて思った次第です。
現実世界は自分で創造する、まさにこのような事かも知れませんね。
